あらすじ
主人公の直吉は大学卒業後、日本有数の大手航空会社の「自社養成パイロット」採用試験に合格、3年間の訓練を経て4年目(25歳)でなんとか副操縦士となり、15年目(37歳)に同期生より少し遅れて国内線機長、30年目(52歳)で素晴らしい国際線機長となる。38年目(60歳)となった時に惜しまれながら退職した。その後、新車プリウスを購入して最愛の家内を伴い念願の四国遍路の旅に出るのであった。
このドラマはあくまでフィクションであり、登場する人物や企業は仮定のものであります。
主人公の生い立ちなど
1.なぜ主人公の直吉がパイロットを目指すようになったのか
直吉の父裕次郎は航海訓練所所属の日本丸の船長であった。航海訓練所は横浜にあったが、裕次郎はマイホームを北海道に建設していたので、千歳と羽田の間を少なくとも年に一回は飛行機で往復していた。直吉も父と一緒に時々、日本丸を見に行ったりもしたのだが、なぜか直吉は船には関心を示さず、羽田空港の飛行機に関心を示すようになり、そのうち偶然、インターネット上で神風特攻隊員の遺書を発見し、現在の日本の平和は尊い彼らの犠牲の上にあるのだと感じたのであった。そして同時に、自分もパイロットとなり、今度は戦争ではなく国際平和に貢献すれば、彼等もきっと喜んでくれると思ったのであった。
2.身体能力は優れてはいたが抜群というほどではなかった
パイロットになるには適正な身体能力(視力、聴力、握力、血圧、脈拍、反射神経、瞬時的なバランス回復能力等)が必須であるが、直吉の身体能力はまずまずではあったが、抜群というほどではなかった。
備考:視力に注意
最近の子供はゲームに凝っていて、いつのまにか近視が進んでいることに気づいていない傾向がある。(視力は両眼矯正視力でも1.0以上ないと身体検査で不合格になる。(ちなみに、矯正視力とは、メガネをかけての視力であるが、レンズの屈折率が、-4.5~+2.0ジオプトリー以内であることと規定されている。他にも、コンタクトレンズ使用は駄目で、近視修正手術既往歴がある人も駄目という厳しい条件があるので注意が必要である。)
3.最後の決め手は英検1級に合格していたこと
直吉の母は独身時代に帆船海王丸で2年間の実習経験があり、船員にはならなかったものの5000トン以上の外国航路船長の免状(海技士一級)を保有していたが、裕次郎と結婚した後は専業主婦として家事に専念してきた。その一方で、長男の直吉には秘かに海王丸船長への夢を託していたのであった。そのため直吉には英会話能力が必要と考えていたので、幼少時から英会話専門幼稚園に通わせていた。そのころはまさか直吉がパイロットになるなど思ったこともなかったが、結果的には直吉の英会話力が航空会社就職試験(最終5次試験の面接で合格)の決め手となったのである。ちなみにパイロットと管制塔のやりとりはすべて英語で行うので英語ができないとパイロットにはなれない。
直吉は、小学校1年生から高校3年まで、札幌市中央区大通西19丁目の英会話スクールに通い続けて、小学校4年の英検7級を皮切りに高校卒業前には国内最高クラスの「英検1級」に合格していた。